平井堅 (ひらいけん)の
「half of me」(ハーフオブミー) について。
同楽曲は、佐々木蔵之介主演、フジテレビ木曜劇場
ドラマ『黄昏流星群~人生折り返し、恋をした~』の主題歌になっています。
今回は、「half of me」の
歌詞の意味を考察し解説します。
「half of me」の歌詞の意味については、
親しみやすくするために
主人公の言葉や気持ちを代弁する形をとっています。
それでは、さっそく見ていきましょう。
平井堅「half of me」歌詞
half of me 作詞 平井堅
作曲 平井堅飲み物でも買いに行くように 君は「じゃあね」と言った
閉めたドアの音が重く響いて この胸を引き裂いた君が置いていった雑誌には コップのシミが出来て
乾いて消えるかと思ったら 痣のように残ったあたりまえは いつももろい 君がいない世界が待ってる
いつものような 僕でいられるけど 誰にも気づかれずに泣いていた何を見ても 何に触れていても 二人で分け合った事に気づく
窮屈だった夜ほど愛しくて 痛みだけがそばにいた新しいキスをいくつもして 塗り替えたつもりでも
君という空白は埋まらない あの日からずっと抱えた傷は形を変え いつしか体の一部になる
人はどうして 叶えられぬものを 引きずりながら生きて行くのだろう?何を見ても 何を感じてても 二人で分け合った事に気づく
僕はこれからも探すのだろう 失われた半分を何を残し 何を捨てればいい? 何を忘れ 何を願えばいい?
誰もが迷い探し続けてる 壊れやすい永遠を失われた半分を
※↓こちらは平井堅さんがライブ時のみ公開していた初期バージョンの歌詞です 飲み物でも買いに行くように
君はじゃあねと言った
閉めたドアの音が 重く響いて
この胸を引き裂いた
君が置いて行った 雑誌には
コップのシミが出来て
乾いて消えるかと思ったら
あざのように残った
窓を開けて 空を見上げ
君がいない 世界が待ってる
何を残し 何を捨てればいい
泣き出しそうな 思い出抱きしめた
何を見ても 何に触れていても
二人で分け合った事に気づく
窮屈だった夜ほど愛しくて
痛みだけがそばにいた
新しいキスをいくつもして
塗り替えたつもりでも
君という空白は埋まらない
あの日からずっと
You’re the other half that makes me whole
La La La
抱えた傷は形を変え
いつしか体の一部になる
人はどうして 叶えられぬものを
引きづりながら生きていくのだろう
何を見ても 何を感じてても
二人で分け合った事に気づく
僕はこれからも 探すのだろう
失われた半分を
何を残し 何を捨てればいい
何を忘れ 何を願えばいい
誰もが迷い探し続けてる
壊れやすい永遠を
失われた半分を
平井堅「half of me」歌詞の意味を解説
君はあの日 飲み物でも買いに行くかのように
あっさりとした表情で 僕の部屋を出て行ったんだ
最後の言葉は 確か「じゃあね」の四文字だけだった
二人の長い年月(としつき) の先にあったのは「じゃあね」だったのか
君が閉めたドアの音が 僕の心の奥底に重く響いて
この胸は無残にも引き裂かれてしまった
君が置いて行った雑誌がテーブルの上に一冊
その上に置いていたコップに付いた水滴がしたたり落ちて染みができていた
水が乾いて輪っかのような染みは消えるのか思ってたら
まるで あざのようにくっきりと残ったんだ
僕の心に残った傷跡を見ているような妙な気分になった
窓を開けてみる 空を見上げた
これからは君がいない世界が 僕を待っているんだと その時思った
今 君と過ごした時間を思い出してみる
いったいどんな記憶を残し 何を捨てればいいんだろう
君との思い出を ひとつひとつ整理する余裕があるのか
胸がいっぱいになりながら 写真を整理したり
君との思い出を 心のアルバムに貼ったり 心の引き出しに しまったりした
二人の写真や思い出が 不思議そうに僕を見てくる
そして 僕の心中を察したそいつらも
今にも泣きだしそうな顔になっていくのが 見て取れた
次の瞬間 僕はそいつらをきつく抱きしめていた
この部屋の何を見ても どんなものに触れていても
二人で分け合い ひとつを共有していたことに気づく
二人で分け合ったシングルベッドの空間
今思うと 窮屈だなと思った夜のことが 余計に愛しい
今となっては 君がいない心の痛みが 僕のそばにいるだけ
それからというもの 僕はいくつかの恋愛をし新しいキスをいくつもした
新しい恋愛をするたびに 心のキャンバスに描かれていた
君との思い出の情景を 塗り替えたつもりでいたけれど
キャンバスの中の君との思い出の情景は
絵の具が弾いて塗り替えることが出来なかった
君が出て行った あの日からずっと変わらないんだ
僕の心と体は 僕が半分と君が半分で成り立っていたんだ

出典:https://twitter.com/ken_hirai_staff
生きていると いくつも心に傷を抱えてしまうもの
その心の傷は 時間とともに形を変えていき
身体に染み付いて やがて体の一部になってしまう
人はどうして 叶えれないものを引きずってしまうのか
君と一緒の景色を二度と見れないと解っているのに
それが未練というものなのか
一体いつまで抱えて生きていくのだろうか
おそらく一生引きずりながら生きていくのだろう
この部屋の何を見ても どんなものに触れていても
二人で分け合い ひとつを共有していたことに気づく
僕はこれからも 探し続けて生きていくのだろう
君が居なくなったことで 僕の体と心の半分が失われた
その半分を求めて それが見付かるまで さまようのだろう
今 君と過ごした時間を思い出してみる
いったいどんな記憶を残し 何を捨てればいいんだろう
君との思い出の何を忘れて これから何を願えばいいのか
壊れやすい永遠に直面した時 誰もが迷うんだ
永遠と思っていたことが 無くなったらその先どうすればいいんだと
自分を形作っていた半分が失われたら 誰もが
自分を取り戻すために その半分を求めて探し続けるのだろう
自分が自分で有り続けるために

最後に
「僕」は「君」と別れてからというもの、
心にぽっかりと空いた空虚な空間を埋めようともがいているのです。
どこも見ても、何を見ても
「僕」と「君」は、二人でひとつだったんだと、改めて思います。
二人で寝ていたシングルベッドは、「君」がいる時は
窮屈だなと思っていましたが、今は何となく空間を持て余している気がします。
そればかりではありません。
「僕」の心と体を形作っていたのは、
「僕」が半分と、残りの半分は「君」だったために、
「君」がいなくなった今、「僕」が完全な「僕」でなくなっています。
これから、「僕」の中の失われた「半分」を探す人生が始まります。
「半分」というのは、「伴侶」という言葉に置き換えていいでしょう。
「僕」が「僕」であり続けるには、失われた「半分」を補わなければならないのです。
人は一人では生きられません。
「僕」を支えてくれる「伴侶」はとても大事な存在です。
幸いにも失われた「半分」である「伴侶」を見つけられたら、
晴れて「僕」が「僕」に戻れるのですが、
その「伴侶」は僕の半分ですから、
「僕」は良くも悪くも変わることでしょう。
「僕」の「半分」を失ったとしても、
「半分」を見つけに行く際は、ゆっくりあせらず行動したいものです。
その後の「僕」の人生を少なからず変えることになるのですから。。
イーブンイフが、大好きです、何回も聞きました、歌バカのアルバムで、
ハーフオブミーは、
その続きの歌ですね
ケンさんが、コンサートで、ピアノで、弾き語りをしながら、思わず泣いていらっしゃったのを覚えています
聞きながら、感動しました
コンサートには、行けないので、WOWOWで見てます
改めて、聞きますとハーフオブミーは、女々しい歌ですね
吉田えり子様
イーブンイフもとても心に響きますよね。
ケンさんが弾き語りをしながら泣いたりされることもあるんですね。
その場に居合わせたら涙が自然に溢れそうです。
貴重な体験をされましたね。
確かにハーフオブミーは
歌詞だけを見るとちょっと女々しい感じがしますね。
多くの男性はそんな側面があるような気がします。