Bank Band (バンク バンド)が、
Bank Band with Salyu(バンク バンド ウィズ サリュ)として
新曲「MESSAGE -メッセージ-」をリリースしました。
歌詞もメロディーも心に突き刺さるような素敵な曲です。
名曲として語り継がれるべき曲だと思います。
今回は、その歌詞の意味を解説します。
「MESSAGE -メッセージ-」の歌詞の意味については、
親しみやすくするために
主人公の言葉や気持ちを代弁する形をとっています。
それでは、さっそく見ていきましょう。
Bank Band with Salyu「MESSAGE -メッセージ-」の歌詞
MESSAGE -メッセージ- 作詞:櫻井和寿 / いしわたり淳治
作曲:小林武史 / 蔦谷好位置あれから少しでも 変わってこれたでしょうか?
誓いは立てたけれど そこで何かが終わってた
目の前の机には 昨日までの宿題が
白紙に近いままで また今日が覆い重なる夕陽に影が伸びて 1日の終わりをかたちどる
両手を広げ十字架を作る 別に意味はない「きっとうまくいく」とか 「何か意味がある」とか
スケールの大きな嘘で ただ忙しいだけの
ちっぽけな暮らしを 慰めて生きてるだけどもう一度 だからこそもう一度
夢見る時代(ころ)は去ったとしても
まだ自分さえ知らないような
新しい自分になりたい教室の隅 貼り出された 子供の頃の夢には
職業の種類だけが並んでた
でも本当は自分を ちゃんと愛せる自分に
なることが何よりも大事だった誰かと比較したり 他人(ひと)の視線が気になったり
想い出だけが綺麗に見える 今の私だけど
自分と違う誰かの生き方とハモれずに
心がささくれ立つ日は
この世界に生まれた意味をぼんやり考えたりもするもしかして性別とか人種とかの「違い」は
思いがけない可能性と
想像を超えた大きな意義を
そこに忍ばせたメッセージかも泣いたり笑ったりして 出来た皺に愛を注げば
今日までどんな風に生きてきたかあなたに記す 心の地図「何かの暗示」だとか 「別の意味がある」とか
スケールの大きな嘘を 冷めた顔で馬鹿にしながら
どこかで信じて暮らしてるだけどもう一度 だからこそもう一度
望んでなれるものじゃなくても
まだ自分さえ知らないような
「幸せだよ」と真っ直ぐ言えるような
笑顔の自分になりたい
Bank Band with Salyu「MESSAGE -メッセージ-」歌詞の意味を解説
あれから少しでも 変わってこれたでしょうか?
誓いは立てたけれど そこで何かが終わってた
目の前の机には 昨日までの宿題が
白紙に近いままで また今日が覆い重なる夕陽に影が伸びて 1日の終わりをかたちどる
両手を広げ十字架を作る 別に意味はない「きっとうまくいく」とか 「何か意味がある」とか
スケールの大きな嘘で ただ忙しいだけの
ちっぽけな暮らしを 慰めて生きてるだけどもう一度 だからこそもう一度
夢見る時代(ころ)は去ったとしても
まだ自分さえ知らないような
新しい自分になりたい教室の隅 貼り出された 子供の頃の夢には
職業の種類だけが並んでた
でも本当は自分を ちゃんと愛せる自分に
なることが何よりも大事だった誰かと比較したり 他人(ひと)の視線が気になったり
想い出だけが綺麗に見える 今の私だけど
自分と違う誰かの生き方とハモれずに
心がささくれ立つ日は
この世界に生まれた意味をぼんやり考えたりもする
あの時から自分は少しでも変わってこれただろうか?
いろんな誓いや目標は立てたけれど
それで満足したのか そこで終わってた
目の前の机にある昨日までの誓いや目標の宿題が
やれないまま 白紙に近い状態で置いてある
その上にまた今日という日が覆い重なる
また今日も夕日に自分の影が伸びて
一日の終わりを否が応でも自覚する
意味はないけれど両手で十字架を作ってみたりする
なんとなく今日の終わりに
今日もこれだけやったから
「きっとうまくいく」とか
今日したことは自分の人生にとって
「何か意味がある」とか
自分にスケールの大きい嘘を信じ込ませて
ただ忙しいだけのちっちゃな自分の暮らしを
慰めながら生きている
そんな自分だけどもう一度
そんな自分だからこそもう一度
夢を見ていた若き時代は去ったとしても
まだ自分さえ知らないような
新しい生まれ変わった自分になりたい
学生の頃 教室のどこかに将来の夢として
自分のなりたい職業が貼りだされていた
でもそんなことよりも前に
自分のことを好きになれるかどうかのほうが
自分にとっては何より大事なことだった
誰かと自分を比較したり
他人が自分をどう見ているか気になったり
昔の想い出だけが綺麗に見える
そんなごく普通のどこにでもいる普通の私だけれど
自分と違う誰かの生き方に同調できず
気がたって やりきれない日は
この世に生まれて どんな意味があるんだろう
って考えたりすることもある
もやもやしてどうにもならない時がある
もしかして性別とか人種とかの「違い」は
思いがけない可能性と
想像を超えた大きな意義を
そこに忍ばせたメッセージかも泣いたり笑ったりして 出来た皺に愛を注げば
今日までどんな風に生きてきたかあなたに記す 心の地図「何かの暗示」だとか 「別の意味がある」とか
スケールの大きな嘘を 冷めた顔で馬鹿にしながら
どこかで信じて暮らしてるだけどもう一度 だからこそもう一度
望んでなれるものじゃなくても
まだ自分さえ知らないような
「幸せだよ」と真っ直ぐ言えるような
笑顔の自分になりたい
自分と性別が違うとか人種が違うとか
そんな自分と違う人を受け入れる感覚が大事なんじゃないか
自分と違う人は
違うからこそ自分とは全く違う可能性や
想像を絶するような大きな意義があるんだよってことを
教えてくれるメッセージなのかもしれない
そんな自分と違う人の顔を見てみるといい
そんな人も自分と同じで
泣いたり笑ったりして出来た皺が顔に刻まれている
そんな人の顔の皺に愛情の眼差しを注げば
その人が今日までどんな風に生きてきたかを
あたなに教えてくれる心の地図が見えるはず
自分の目の前で起こっていることに
「何かの暗示」だよ
「別の意味がある」とか
もっともらしいスケールの大きさだけが取り柄の噓を
冷めた顔で馬鹿にしながらも
心のどこかで信じているところがある
そんな自分だけどもう一度
そんな自分だからこそもう一度
簡単に望んでなれるようなものじゃないかもしれないが
力を入れなくても
自然に「幸せだよ」って
真っ直ぐな顔で言えるような
まだ自分さえも知らないような自分になりたい
最後に
無駄に過ごした一日を、意味があることだ
と言って、自分に嘘をついてみたり、
自分と価値観が違う人を排除したいと思ったり、
他人が言うことに冷めた目で見ることがあったり、
少なからず自分の中に負の部分がある。
そんな自分は嫌いなんですよ。
みんなそうだと思います。
人と自分は違うってことを理解して
素直な気持ちで自分以外の人を
受け入れることが必要なんじゃないかって思います。
性別や人種が違う人のことを理解することは
難しいかもしれませんが、自分にはない可能性や
自分が知らないことを教えてくれる存在です。
まず自分に正直になり、自分を愛せるようになって、
その次に自分と違う人を愛せるようになったとき、
人は、自然に「幸せだな」って思うんじゃないでしょうか。。