大野奈々(清原果耶)の新曲「気まぐれ雲」について。
同楽曲は、映画『デイアンドナイト』主題歌になっています。
今回は、「気まぐれ雲」の
歌詞の意味を考察し解説します。
「気まぐれ雲」の歌詞の意味については、
親しみやすくするために
主人公の言葉や気持ちを代弁する形をとっています。
PV (YouTube動画) は歌詞の下に設置しています。
ぜひ歌詞をご覧になって歌ってみてくださいね。
それでは、さっそく見ていきましょう。
大野奈々(清原果耶)「気まぐれ雲」歌詞
気まぐれ雲 作詞 野田洋次郎
作曲 野田洋次郎大嫌いな月曜日
そう呟いてふと気付かされる
それってもう私よりは
必要とされる月曜日二度と見返されない
写真や聞かれることない歌
二度と思い出されることのない
記憶や人達そんな忘られ者たちが
最後に集められた街
そこがもしもこの星だとしたら見透かしたように空は晴れ渡り
私を一人にする
土砂降りの心に
ちょうどいい天気はくれないこの皮膚隔てた世界
ビルの隙間から
浮雲がこの姿を見下ろしては
私は変わりもせず
君の顔の輪郭をそこに探してるよ
※公開された動画等をもとに作成した歌詞です
誤字脱字等ありましたらご容赦ください。公式発表後、正式な歌詞をアップいたします
大野奈々(清原果耶)「気まぐれ雲」歌詞の意味を解説
月曜なんて、大っ嫌い。
また始まる、憂鬱な一週間に、うんざりしちゃう。
きっと誰もが、そう思うでしょ?
でもね、ふって気づいたんだ。
あのね、大っ嫌いって思ってもらえるってことは、
そこに、確かに存在しているってことだよね。
じゃ、月曜って、すごいじゃん。
少なくとも、私よりはね。
ねぇ、気に入らない写真って、どうしてる?
映ってる本人に嫌われた写真は、捨てるしかないよね?
どうせ、二度と、見てもらえないんだから。
そんな写真みたいに、
誰かが気まぐれに口ずさんだだけで、
二度と聴かれることのない歌や、
ずっと一緒にいたのに、
二度と思い出してもらえない人や記憶って、
いったい、何処に行けばいいんだろうね?
もしかしたら、この雪に閉ざされた街は、
そんな忘られモノたちの、捨て場所なのかもしれないね。
だって、何もないこの街に、それはとても良く似合う。
そんな忘られモノたちが、最後に行き着く場所が、
もしも、もしも、この星だとしたら……
そんな私の心を見透かしながら、
空は知らぬげに、限りなく青く、透明に澄んでいく。
降り注ぐ陽光が、雪を乱反射して、世界は虹色だよ。
私の心は、土砂降りだっていうのに。
心の中は、泥水であふれそうなのに。
私のちっぽけな気持ちなんて、
どうでもいいって言う空は、
哀しいくらい、青い。
もしもこの皮膚が溶けて、
土塊と一緒に固まるなら、
私を見放す世界は、少しは私に気づいてくれる?
少しは近くに、いてくれるのかな?
何もなかった雪国に背を向けて、
都会に出て来たわたしのことを、
故郷の空にも浮かんでた浮雲は、
ただ静かに、見下ろしてくるよ。
そんな見慣れた、気まぐれ雲を、
ビルの隙間から見上げるたびに、
私は飽きもしないで、気まぐれ雲に、
君の輪郭を、かさねてしまうんだよ。
君の事、いまも気まぐれ雲の彼方に、
探してしまうんだよ。
最後に
この映画のためのPVに、
野島伸司の世界観を感じる人はいないだろうか?
哀しい結末を予感させる、残酷な画面展開は、
紗を透かして見る、古い映画の画面のようだ。
そして、
ぼんやりとかすむ風景に浮かぶ少女の笑顔は、
どこまでも無垢で清らかで、眩しい。
けれど、最後の場面、
少女は、恋心を揺らされた人を、
もしかして、自分の手にかけたのではないか?
それはすべてわからない。
ただ、消え入りそうな少女の声で歌われる主題歌は、
どこか森田童子を思い出させ、「高校教師」での
「男のくせに泣いてくれた」と重なった。
雪に覆われた秋田の凍るような寒さは、
そこで生活したことがある人にしか
きっとわからないこともある。
動かないもの全てを凍らせる、秋田の雪は、
生あるものの生を飲み込んで、白く煌めく。
その白い世界に、脆く儚く溶けていく、
美しい少女が放つ、青く澄んだ歌声が、
RADWIMPSの野田洋次郎さんの歌詞を歌うなんて、
なんて切ない化学反応だろうと、そう思った。