中島みゆきの「あした」について。
今回は、「あした」の
歌詞の意味を考察し解説します。
「あした」の歌詞の意味については、
親しみやすくするために
主人公の言葉や気持ちを代弁する形をとっています。
歌詞の下に設置しているカラオケ練習用MV (YouTube動画) と共に
ぜひ歌詞をご覧になって意味を考えながら歌ってみてくださいね。
それでは、さっそく見ていきましょう。
中島みゆき「あした」歌詞
あした 作詞 中島みゆき
作曲 中島みゆきイヤリングを外して 綺麗じゃなくなっても
まだ私のことを見失ってしまわないでね
フリルのシャツを脱いで やせっぽちになっても
まだ私のことを見失ってしまわないでね
カーラジオが嵐を告げている
2人は黙りこんでいる
形のないものに 誰が
愛なんて つけたのだろう 教えてよもしも明日 私たちが何もかも失くして
ただの心しか持たないやせた猫になっても
もしも明日 あなたのため何の得もなくても
言えるならその時 愛を聞かせて抱きしめれば2人は なお遠くなるみたい
許し合えば2人は なおわからなくなるみたいだ
ガラスなら あなたの手の中で壊れたい
ナイフなら あなたを傷つけながら折れてしまいたい
何もかも 愛を追い越してく
どしゃ降りの 一車線の人生
凍えながら 2人共が
2人分 傷ついている 教えてよもしも明日 私たちが何もかも失くして
ただの心しか持たない やせた猫になっても
もしも明日 あなたのため何の得もなくても
言えるならその時 愛を聞かせて何もかも 愛を追い越してく
どしゃ降りの一車線の人生
凍えながら 2人共が
2人分傷ついている 教えてよもしも明日 私たちが何もかも失くして
ただの心しか持たない やせた猫になっても
もしも明日 あなたのため何の得もなくても
言えるならその時 愛を聞かせて
中島みゆき「あした」歌詞の意味を解説
いつもは着飾っている私がイヤリングを外して、綺麗じゃなくなったとしても
全滅しないで、地味な私のこともいつもと変わらず見ていてくれますか?
いつもは着飾ってる私がフリルのシャツを脱いでやせっぽっちになっても
幻滅しないで、地味な私のこともいつもと変わらず見ていてくれますか?
カーラジオのノイズが嵐のように聞こえてくるほど遠くまで来たみたい。
そんな中2人は黙り込んだままでいる。
目に見えない、形のない、不明確なものに
誰が愛なんて名前をつけたのだろう。
誰か教えてよ。
もし明日私たちが持っている財産も、仕事も、家も、何もかもを失ってしまったとして
ただの心しかもたないやせた猫のような、ひもじくて孤独な生活を送らなくてはならなくなったとする。
もしもそんな明日が来て、あなたが得をするようなことをしてあげられないとしても
いまと変わらずに私を愛してるという言葉を私に聞かせてくれますか?
抱きしめれば抱きしめるほどあなたを欲しくなっる。でも満たされないから2人の心はもっと遠く離れていくみたいに感じる。
許し合えば許し合うほどあなたのことを知りたくなる。でも知り尽くせないから2人はもっとわかりあえないように感じる。
もし私がガラスだったら、あなたの手の中であなたに壊されたい。
もし私がナイフだったら、あなたを刃で傷つけながら、折れてしまいたい。
そうやってお互いに傷つけあって互いを受け入れたい。
自分が大事にしたいことが愛を追い越していって、愛を置き去りにしてしまう。
人生とはまるで土砂降りが降っているように周りが見えなくて、独りよがりで分かり合うことがない。
雨に打たれても1人で凍えて立っている、そんな孤高の私たちが、それぞれに相手の分まで傷ついている。まるで諸刃の剣のようなこの愛でいいのか、誰か教えてよ。
もし明日私たちが持っている財産も、仕事も、家も、何もかもを失ってしまったとして
ただの心しかもたないやせた猫のようなひもじくて孤独な生活を送らなくてはならなくなったとする。
もしもそんな明日が来て、あなたが得をするようなことをしてあげられないとしても
いまと変わらずに私を愛してるという言葉を私に聞かせてくれますか?
自分が大事にしたいことが愛を追い越していって、愛を置き去りにしてしまう。
人生とはまるで土砂降りが降っているように周りが見えなくて、独りよがりで分かり合うことがない。
雨に打たれても1人で凍えて立っているそんな孤高の私たちが、それぞれに相手の分まで傷ついている。まるで諸刃の剣のようなこの愛でいいのか、誰か教えてよ。
もし明日私たちが持っている財産も、仕事も、家も、何もかもを失ってしまったとして
ただの心しかもたないやせた猫のような、ひもじくて孤独な生活を送らなくてはならなくなったとする。
もしもそんな明日が来て、あなたが得をするようなことをしてあげられないとしても
いまと変わらずに私を愛してるという言葉を私に聞かせてくれますか?
最後に
あなたは恋愛に対して「依存するタイプ」ですか?「ドライなタイプ」ですか?
この曲はこの二つの恋愛のタイプについて語られることによって構成されています。
まずこの曲の前半部分では愛に「依存するタイプ」の様子が描かれています。
無償の愛を信じることができず、
愛してもらうには見返りがなければならないと考えている、寂しげな愛の形について歌っています。
愛してもらうには魅力的に見えるように着飾っていなければいけない。
愛というものは形で示さなければいけない。
そんな考えで人を愛してきたけれど、
愛を形として与えることが出来なくなったとしても、居なくならずに愛してくれるのか。
愛している気持ちだけでも、捨てずにいてくれるのか。
そんな孤独になることへの不安な心境が描かれています。
そして後半では、愛に「ドライなタイプ」の孤独についてが描写されています。
相手に優しくし、思いやり、相手に全てを求めない。自分でできることは自分でやる。
そんな形で愛を守っているから余計に孤独を感じていて、本当はもっと傷つけ合ってでも互いの感情を曝け出しているほうが、愛を感じ合えると考えています。
愛することを一番に考えることができずに自分を持って孤高に社会を生きている2人だからこそ、取り残されていた愛に目を向けたときに余計に孤独を感じてしまうのです。
二つのタイプの愛の形について語られてきましたが、
どちらにせよ愛とは孤独で独りよがりなものなのです。